学会員への推奨に関する事例集

日本プライマリ・ケア連合学会は,健康格差に対する学会の行動指針を踏まえ,会員一人一人が不公正な健康格差の是正に向けて行動することを推奨する.
本資料はその推奨に沿って,国内外で行われている活動事例を収集し公表するものである.本資料の作成にあたり,まず,健康の社会的決定要因検討委員会の委員から以下の各項目に該当する事例を収集した.
今後はさらに広く事例を収集・蓄積し,資料を更新していく予定である.

1)予防活動・診療について

社会的処方の例

新潟県魚沼市の例 ▼ 引用文献
「NPO法人エンジョイスポーツクラブ小出」[not revised; cited 29 Dec 2017]. Availablefrom: http://espouonuma.com/espowp/activity/エンジョイスポーツクラブ魚沼のあゆみ/
地元の開業医でもある上村伯人氏が理事長を務める「NPO法人エンジョイスポーツクラブ小出」では,地域住民に対して,アクセスのよい場所で,廉価な自己負担で,定期的に運動する場を提供している.この場は,単に運動するだけではなく,地域の人との交流の場となっている.医師は,外来で患者に対して「運動しましょう」と口で言うだけではなく,住民に対して実行・持続可能な運動の場を提供することもできるのである.

患者の社会リスクの把握

埼玉協同病院の例:電子カルテにSDHの問診を取り入れる
埼玉協同病院では,入院患者の基本情報としてSDHの項目を設けている.基本情報を問診するのが,誰であっても,どの科に入院したとしても,標準的に患者のSDHが把握できるようなシステムを工夫し,支援が必要な人々を医療連携室へとつなげている.
聖ミカエル病院(カナダ・トロント)の「貧困スクリーニングツール」
カナダ・オンタリオ州では,約2割の人口が貧困状態で生活していることや,先住民が多く在住していることから,SDHがかねてより注目されていた.そこで,聖ミカエル病院とトロント大学が連携し,家庭医を中心に,貧困をスクリーニングする問診項目を研究した.そこから得られた「月末に支払いが苦しくなることがありますか」という問診を日々の診療でおこない,経済的な支援が必要な人々を拾い上げている.

受診しやすい診療所づくり

「医療法人ほーむけあ(広島市)」の例
「ほーむけあクリニック」では,インフルエンザの予防接種代金を限界まで引き下げることで接種のための来院を促し,有事の際に相談しやすい環境作りを目指している.来院して医師・医療機関を「知っておく」ことができれば,医師や医療機関に対する心理的障壁が軽減されると考えるからである.インフルエンザの予防接種は,そのための良い機会となるが,経済的に困窮している世帯ではその費用の捻出に苦慮することも考えられるため,自己負担金額をできる限り抑えている.

低所得者など,生計が困難な人が受診しやすい環境を整える

無料低額診療事業
無料低額診療は低所得者やホームレス,外国人など,受診時に生計が困難である患者に対して,無料または低額で医療を提供する社会福祉法に基づく法的支援である.実施医療機関と地域の福祉事務所や社会福祉協議会が事前に定めた所得基準を満たす個人とその世帯に適応される.国内では,済生会と民医連が広く実践しており,経済的事由で受診できない人々の支援をおこなっている.

LGBTQの方々が受診しやすい環境を整える

海外の例
性的志向・性自認に困難を抱えている方々,いわゆるLGBTQの方たちは,医療に対して特有のニーズを抱えている.しかし,安心して受診できる理解のある医療機関が乏しいため,受診をためらい健康を害することがある.例えば,トランスジェンダー(心と身体の性の不一致が生じている)である人の場合,医療機関の受付で戸籍上の名前で呼ばれるため受診しづらくなったり,自身の性自認とは異なる性別共同病室に入院となり苦痛を感じることもあれば,トイレ利用に困難を感じたりしている.そのため,海外の医療機関では,以下のような対応をしている.
  1. どの性別(ジェンダー)の方でも,安心して使用できるトイレを設置する
  2. 「女性外来」,「メンズ・クリニック」など特定のジェンダーしか想定していない名称を避ける(身体は女性で心は男性の場合,「女性外来」は受診しにくい)
  3. 初診時に的確な情報収集を行う:その人が呼ばれたいと希望する名前,呼ばれたい代名詞(彼女か彼か),自認する性別(ジェンダー),生下時の性別,配偶者名,家族氏名
  4. 配偶者について尋ねるとき,「奥様」「ご主人」という言葉を使わず「パートナー」と表現する.
  5. 電子カルテに,性自認や生まれつきの性に関する情報を記録し,特有の健康課題に配慮した診療を行えるようにする.例えば,レズビアンやトランスジェンダーで身体の性が女性の場合,乳がんや子宮頸がん検診の受診率が低いため,検診のリマインダーを画面に表示する,など.

2)教育について

SDHを学部教育で伝える

医学教育コアカリキュラムが平成29年3月に改定され,「社会構造(家族,コミュニティ,地域社会,国際化)と健康・疾病との関係(健康の社会的決定要因(social determinant of health))を概説できる.」という文言が明記された ▼ 引用文献
医学教育モデル・コア・カリキュラム(平成28年度改訂版).東京:文部科学省;Mar 2017. [not revised; cited 29 Dec 2017]. Availablefrom: http://www.mext.go.jp/component/b_menu/shingi/toushin/__icsFiles/afieldfile/2017/06/28/1383961_01.pdf
.その教育方法として先駆的な取り組みを紹介する.

順天堂大学医学部の「医学教育研究室」選択実習
3年生を対象に5週間の選択実習で,社会経済的に厳しい状況にある方々を支援している団体の活動に参加し,直接にお話を伺う機会を頂いている.活動を通して,「健康の社会的決定要因」の存在に気づき,医療者の役割を考えるプログラムとなっている.
活動前に,①「知っていること/聞いたことがあること」,②①の状況を起こしている社会的構造,③②がどのように健康に影響するか,④医師の果たせる役割,についてA4用紙1枚に記述する.活動後にも同様に,①「知ったこと,学んだこと」,②①の状況を起こしている社会的構造,③②がどのように健康に影響するか,④医師の果たせる役割を記述する.そしてそれをもとに,参加学生と教員とで振り返りを行う.
活動例・・・路上生活者支援(炊き出しや夜回り,医療相談),子ども食堂,子ども学習支援,外国につながりのある子どもたちへの学修・生活支援,外国人への医療支援活動,LGBTQ理解への取り組み,難民高校生と呼ばれる繁華街で過ごす女子生徒への支援活動など.
この選択実習の課題は,実習を通して学んだことを同級生に伝えるための教材作成(ビデオクリップやパワーポイントなど)とレポートの提出としている.“生活保護の中から食費までも切り詰めなければならない家庭もあることを知った”,“自分の全く知らない,考えもしたことのないところで苦しんでいる人がいて,その人々を助けるために頑張っている方もいることに自分の視野の狭さを思い知った”,“将来医者になったときに心に留めておかねばならないのは,医療の知識や技術にとどまらないことを実感した”と感想を述べ,“今回の体験を他の医学生と共有し,現状を知る仲間を 増やしたい”記している.
高知大学医学部医学科の「地域医療学」授業
① 3年生の地域医療学(全15コマ)で,「家庭医療の実践」という1コマ(90分)の授業を実施.家庭医療学の理論の一つであるBPS(生物心理社会)モデルに含まれる社会に絡めてSDHについて伝える.3事例(へき地の高齢独居,市街地の貧困中年男性,母子家庭の貧困中学生)それぞれの健康問題に影響しているSDHを考えてもらう.また,順天堂大学の学生の作成したSDHに関するビデオを視聴して感想文を書いてもらう.
② 5年生のプライマリ・ケア/地域医療学実習(計5日間の地域の開業医とへき地での実習を含む2週間)の中のミニレクチャーでSDHについて触れる.実習先では,大学病院との違い,特に患者背景,健康に影響を与えていること(SDH)に注目して見学してくるように伝えている.実習報告会(3時間)では印象に残ったこと,大学病院では気づかなかったことなどを発表してもらっている.
新潟大学新潟地域医療学講座の実習
新潟県魚沼市には「地域医療魚沼学校」が設立されている.ここでは,地元の医療関係者が,山奥の集会所まで医療保険の仕組みを教えに出向いたり地域指導者を育てる手助けをしたりと,さまざまなプログラムにより,互いに勉強し合うといった地域包括ケアシステム・多職種連携を実践している.ここで新潟大学の医学生5年生が地域医療実習を行っている.

SDHを訪問診療同行実習・研修で教育する:順天堂大学の例

学習者に患者の背景に目を向ける問いかけを行い,健康格差の存在を伝え,振り返りの中でSDHへの気づきを促す.

①実習・研修開始前:
「WHOの健康の定義を言える?」,「社会的に完全に良好な状態って何だと思う?」「在宅医療と病院医療の違いは何だと思う?」「これから,いろいろなお宅を訪問するので,その患者さんやご家族の健康に影響している社会的要因が何か考えてみて.」
②訪問診療の際:
患者・家族との対話の中で,社会的要因に関連するニーズの有無を見出す.学習者に患者・家族の生活について聴き取りをしてもらう,など.
③訪問後:
「どう思った?」「何に気が付いた?」と振り返りを促す.患者・家族のこれまでの人生の歩みや生活について触れ,現在の健康課題と結びつけて解説する.
④実習・研修修了後:
「今日,一番印象に残ったことは何?」「在宅医療と病院医療の違いは何だと思った?」と尋ね振り返る.さらに,これまでの経験からSDHへの対応が患者・家族の健康を改善した例などを伝える.

学生たちは,瀟洒な住宅地,高度成長期に立てられた巨大団地,床が抜けそうで足の踏み場もない住宅などを垣間見て,“本当にいろいろな暮らしがあることが分かった”と述べる.また,60歳近い息子の世話をする80代の母親,近所の方の支えが心強いと話す一人暮らしの高齢者,孤立する高齢男性などいろいろな立場の方々のお話を伺うなかで,健やかな暮らしに何が必要か,医療を提供するだけでは解決しない課題に気づく.

SDHを多職種教育で伝える:福井県高浜町の例

平成27年度より,高浜町内外の専門職,行政職員,一般市民を対象に,健康の社会的決定要因と地域の在り方から健康を幅広い視点から学び,地域の健康格差是正に向けての理論学習と実践体験が可能な通年制のセミナー「健康のまちづくりアカデミー」を実施している.

①系統講義:
医学のみならず工学,社会学,教育学の講師による,「まちづくり×ひとづくり×きずなづくり×からだづくり」による多様な健康の社会的決定要因につながる学び
②特別講義:
ハーバード公衆衛生大学院イチロー・カワチ教授らによるSDH特別講義
③実践実習:
福井県高浜町を舞台に,参加者が自ら企画し「健康のまちづくり」や「健康格差の是正」につながるイベントを実践と振り返り

3)研究について

エビデンスづくりに役立つ情報を診療のなかで収集し記録する

社会的要因に起因して発生しやすい医療ニーズとして,頻回受診やアルコール多飲,大量服薬,リストカット,うつ,自殺未遂,性感染症,虐待,小児喘息などが挙げられる.その他,慢性疾患の中でも糖尿病やメタボリックシンドロームは,より社会経済的背景が厳しい人に多く,重症化しやすいことが知られている.

社会背景が関係していると推測される主訴や疾患,症状を訴えて患者が受診した場合,社会歴,家族歴なども丁寧に記録する.入院やすぐに治療が必要なくても,可能な限り外来につなぎ,人間関係を構築した上で,社会的に介入できるポイントを見出すためモニタリングする.同時に可能な限りに記録する.
- 既往歴,血圧,処方歴,血液情報,保険情報,緊急搬送情報,他院受診情報
- 患者の社会参加状況につながりやすい,職業歴や教育歴,家系図など
- あらゆる年齢層に対する地域内の社会参加や雇用につながる情報の収集や,各関係者との連携を行う.

研究計画の立案,実施,その後

社会的要因に起因して発生しやすい医療ニーズとして,頻回受診やアルコール多飲,大量服薬,リストカット,うつ,自殺未遂,性感染症,虐待,小児喘息などが挙げられる.その他,慢性疾患の中でも糖尿病やメタボリックシンドロームは,より社会経済的背景が厳しい人に多く,重症化しやすいことが知られている.

  1. 研究として分析を試みる際には,明らかにしたいリサーチクエスチョンを見出し,必要に応じて研究者の助言を得ながらプロトコール(研究計画)を描く
  2. 計画を立てる際には,ある程度同じまたは異なる背景の患者数が必要であるため,同じフォーマットで情報が整理されるように工夫をする
    例:常に同じ項目で整理する
      プライマリ・ケア連合学会が推奨する学会内電子カルテやエクセルを利用する
  3. ③ 調査票などを用いて追加調査を行う際には,できる限りすでに妥当性が検証された質問項目を用いる.倫理審査を受ける(勤務先に倫理委員会がない会員は,学会の倫理委員会に申請できる).
  4. ④ 得られた結果はできる限り学会発表や論文として発表をし,日本における患者の治癒や安寧な生活に寄与しうる社会的介入ポイントについての示唆を蓄積する.

研究実施例

社会的要因に起因して発生しやすい医療ニーズとして,頻回受診やアルコール多飲,大量服薬,リストカット,うつ,自殺未遂,性感染症,虐待,小児喘息などが挙げられる.その他,慢性疾患の中でも糖尿病やメタボリックシンドロームは,より社会経済的背景が厳しい人に多く,重症化しやすいことが知られている.

J-HPH ▼ 引用文献
日本HPHネットワークウェブサイト.[not revised; cited 29 Dec 2017]. Availablefrom: https://www.hphnet.jp/
の研究例:臨床現場でSDHを捉える問診票づくり
J-HPHは,「患者の暮らしぶりに関する情報を把握するための,簡易質問項目の開発に関するパイロット研究」を行っている.この研究では,J-HPHに加盟している複数の病院が,SDHのひとつである貧困をスクリーニングするのに有用な問診を開発することを目標に,調査を進めている.
全日本民医連の研究例:40歳未満の2型糖尿病患者の実態調査(T2DMU40)
全日本民医連は,「暮らし,仕事と40歳以下2型糖尿病についての研究」と題して,糖尿病の外来管理を行っている20−40歳の男女約800名の回答から,個人レベルの糖尿病合併症に所得格差,教育歴格差があるかを検証した.

また,自治体や保健所などからの公開データを利用した研究も行われている.自分の診療所や病院がある地域の疾患の有病率,年齢構成,所得構成などから地域間比較を行う.結果から重点課題や重点対象地域を見出し,課題解決のための活動に繋げている.

福井県高浜町の例
福井県高浜町では,平成26年度より,福井大学と高浜町が共同で日本老年学的評価研究(JAGES) ▼ 引用文献
日本老年学的評価研究ウェブサイト.[not revised; cited 29 Dec 2017]. Availablefrom: https://www.jages.net/
に参画し,町内在住の高齢者に対する悉皆前向きコホート調査により,高齢者の健康状態および健康の社会的決定要因の詳細な把握またその変化と,地域で実施された様々な健康づくり・健康格差対策・まちづくり事業等の効果測定を試みている.

4)パートナーシップについて

5)アドボカシーについて

「地域ケア会議」への積極参加

地域での生活やケアに困難を抱える事例や地域課題を議題として,地域の医療・介護・福祉関係者,民間企業,行政等の関係者が一堂に会して議論し,ネットワーキングを行う「地域ケア会議」が各地で行われている.医療従事者の積極参加が期待されている.

地域活動への参加

福井県高浜町の例
福井県高浜町では,平成21年度より,地域医療のために住民の立場でできることを模索し実行する有志団体「たかはま地域☆医療サポーターの会」が活動している.その活動の中で,地域医療講演会や救急受診チャートの作成など,プライマリ・ケア関連専門職としての知識や技術が必要な活動の支援を,会から求められた際に行い,コミュニティ活動を活性化している.

「医療法人ほーむけあ(広島市)」の例

「ほーむけあクリニック」では,病気があっても無くても気軽に訪れることができるコミュニティカフェ「Jaroカフェ」を併設している(じゃろ,は広島の方言で,肯定的な意味合いがある).

医療機関は一般的に,病気やけがをしてはじめて訪れる場であり,地域の診療所の医師は「町医者」ならぬ「待ち医者」となっている.また,診察室という特殊な空間では,時間の制約も相まって,人々は医師に隠された思いを表出することが困難である.そこで,診療所を「かかりつけ」ではなく「いきつけ」の場とするため,カフェを併設した.
毎週水曜金曜の昼は医師等がJaroカフェで近隣の方々と一緒にランチを食べながら健康相談にのったり,街の情報を教えてもらったりしている.社会的処方の一環として,「地域のママさん情報」を掲示するなどの情報提供も行っている(下写真).

また,介護者サロン,ベビーマッサージ教室など背景が似通った方々が集まりやすい定期・不定期イベントを開催し,同じ苦労をしているからこそ分かり合えるコミュニティ作りのサポートをしている.さらに,ランチタイムやイベントでの対話を通じて得た課題を抽出し,医学生や多職種からなるJaroカフェメンバーがプロジェクトチームを組んでアプローチする取り組みを始めている.たとえば,月に1回「Jaroこども食堂」を開催している.こども達の家庭環境に関係なく,様々な境遇(孤食の子ども,共働き家庭,高齢者,単身赴任男性など)の方が食や遊びを通じて健やかな生活を送るための支援を行うことを目的に活動している.

写真:ほーむけあクリニック内に掲示される「地域のママさん情報」(横林賢一氏提供)
写真:ほーむけあクリニック内に掲示される「地域のママさん情報」(横林賢一氏提供)